映画『青天の霹靂』は面白い?感想と動画配信サイトで無料で見る方法

邦画

劇団ひとりによる小説を原作とした「青天の霹靂」は、2014年に公開された映画です。タイムスリップとマジックを主軸に置いた、親子間の愛情と切なさが感じられる作品になっています。映画では劇団ひとり自らが監督および脚本を務めており、マルチタレントと一言で片付けるにはあまりに優れた映画構成に舌を巻くことでしょう。

この記事では極力ネタバレを抑えながら、「青天の霹靂」の魅力を徹底的に解説。また、主な動画配信サイトでの配信状況についても紹介します。

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原作は劇団ひとりの小説!青天の霹靂はこんな映画

2014年に公開された映画「青天の霹靂」は、劇団ひとりの同名小説を原作とする作品です。原作者である劇団ひとりは、自ら本作の監督および脚本を務めるだけではなく、主演キャラクターも担当しており、まさに彼のセンスが十分に発揮された映画といえます。

主演は、「探偵はBARにいる」シリーズや深夜バラエティ「水曜どうでしょう」で有名な大泉洋に、大河ドラマ「おんな城主直虎」で女優としての脂が乗ってきた柴咲コウ。タレントや歌手としても活躍する実力派揃いの俳優が、劇団ひとりの作り出す少し奇妙で、けれども心温まるストーリーをリアルに演出します。

本作の少し奇妙な部分とは、タイムスリップをネタに使用しているところです。タイムスリップと聞いて、タイムパラドックスや時間改変のようにSFめいた設定を思い浮かべる人もいるでしょう。しかし、本作で描かれるタイムスリップは唐突に起こるものであり、作中でその原理が特に明かされることはありません。

むしろ、タイムスリップの面白みである、会えるはずのない人との邂逅や気持ちの触れあいを可能にするという点に、本作の主眼が置かれているのです。大泉が演じる晴夫過去に飛んで自分の両親に出会うという設定は、古くは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に見られる使い古されたネタといえます。しかし、父親や母親に対する晴夫のくすぶった感情が絶妙なエッセンスとして加わることで、王道にして期待を裏切らない物語を一層面白く演出するのです。

こうした物語の展開を思いつく劇団ひとりのセンスは、本作でさらに開花したといえます。「青天の霹靂」は劇団ひとりが初めて映画監督を務めた映画です。本作のプロデューサーである川村元気は、劇団ひとりの処女作品である小説「陰日向に咲く」を映画化した際に、彼が監督を務めた場合の映画を想像したといわれています。

実際、一人芝居の舞台で脚本や演出を全て一人で行う劇団ひとりのセンスは、動画の見せ方や物語の山場を盛り上げる演出にも遺憾なく発揮されているのです。前情報なく映画を見た人は、エンドクレジットの監督名を見たときに、本当に劇団ひとりが監督だったのかと驚くことになるでしょう。

また、本作のさまざまなシーンで披露されるマジックも見逃せません。大泉洋が演じる晴夫は、冴えないマジシャンとして描かれます。しかし、その設定とは裏腹に、彼の伝統的なマジックの数々は、タイムスリップした先の昭和40年代の世界で驚きをもって迎え入れられるのです。

注目すべきなのは、これがタイムスリップのネタのひとつである、未来のネタが過去の世界で衝撃を与えるという点だけに頼っていないところ。実際、大泉洋によるマジックの数々は本物のマジシャンのような完成度でもって披露され、スクリーンの向こうから我々を驚かせます。一体どんなトリックになっているのだろうと思ったら、既に映画の術中にはまっているといえるでしょう。

そして、タイムスリップとマジックに彩られた本作の中心にあるのは、やはり家族の愛情なのです。劇団ひとりが演じる正太郎と、柴咲コウが演じる悦子による、生まれてくる子どもへの思い。それは両親に対する晴夫の誤解を解き、彼の心に家族のぬくもりを与えます。

歴史改変のようなご都合主義のない本作において、もとの時代における晴夫の状況が何か変わるわけではありません。しかし、その奇妙な物語は、彼に生き生きとした力を与えることになります。爆笑問題の太田光が本作を「とにかくあったかい。見終わった後、世界を抱きしめたくなる」と評したように、本作は見た人の心を晴れやかな気持ちにしてくれることでしょう。

スタントなしのマジックに注目!青天の霹靂のおすすめポイントを3つ紹介

人生につまずく晴夫のやりきれなさ

「青天の霹靂」が面白い最大の理由は、タイムスリップを通して描かれる、本来ならばあり得なかったはずの家族の交流です。しかし、その交流を人間ドラマとして昇華しているのは、主人公である晴夫が辿ってきた人生にあるといえるでしょう。

39歳の晴夫は、お金もなく、彼女もおらず、ぼろぼろのアパートでレトルトカレーを食す日々を過ごしています。勤めているマジシャンバーで活躍できている様子はなく、だらだらとその場に居座っているだけ。その生活から抜け出せないことに対して、どこか諦めにも似た感情を抱いています。テレビで活躍する後輩のマジシャンが見下したように自分へ話しかけてきても、怒りを覚えることはなく、むしろ世界の違いを痛感するだけなのです。

物語の冒頭で晴夫は、父親である正太郎が亡くなる直前まで自分の写真を大切に持っていたことを知り、思わず感極まってしまいます。そして、これまで自分が辿ってきた人生はなんて惨めなのだろうと嘆くのです。結婚して普通の家庭を築く人を見下し、自分こそ特別な存在だと信じて疑わなかった晴夫。実は普通の生活を営む人のほうが努力をしてきたのだと気がついた彼は、夢も希望もないまま、何で生きているのかわからなくなってしまったと悲嘆に暮れます。

晴夫の人生は、アウトサイダーと呼べるような特別なものではありません。その惨めさも、この現実において誰かの身に存在していると思わせるものです。しかし、現実に起こりえるものとして想像できる惨めさであるからこそ、見る人にその辛さを訴えかける強い力を持っています。その惨めさは、タイムスリップによる両親との交流を経て、やがて大きなカタルシスを引き起こすスイッチに。晴夫に対して何かしらの共感を覚えた人は、間違いなくこの作品を楽しむことができます。

完成度の高いマジックの数々に注目

作中では晴夫がいろいろな場面でマジックを見せます。伝統的なコインマジックやトランプマジックはどれも秀逸であり、トリックの正体を全く感じさせることがありません。マジックは晴夫のキャラクターを形作る設定であるだけではなく、映画を見る人を視覚的に楽しませる効果を持っています。

披露されるマジックの数々はどれもスタントではなく、大泉洋本人によるものです。また、スプーン曲げや鳩、さらには火を出すようなマジックですら、編集やCGを一切使用しないという徹底ぶり。俳優だけで本物のマジックだけを見せたいという、劇団ひとりの並々ならぬこだわりがうかがえます。

もちろん、大泉洋はマジシャンではありません。この作品に臨むにあたり、彼は実際のマジシャンである魔耶一星の指導を受け、クランクインの4カ月前からマジックの練習をしていました。そうして作中で披露されるマジックは、本当に動画編集を使用していないのかと疑ってしまうほどの完成度。マジシャンとしての晴夫のキャラクターを強く印象づけることに成功しました。なお、魔耶一星によれば、練習中の大泉洋を本番に強いと賞賛しながらも、練習態度はネガティブと評しています。飄々としたイメージのある大泉洋のプライベートな一面は、晴夫の性格と少し似ているのかもしれません。

昭和48~49年の風景から見えるもの

晴夫がタイムスリップする先は、昭和48~49年の東京浅草。ようやくカラーテレビが家庭に普及した頃であり、街では牛乳が1パック30円、居酒屋では鯨の肉が普通に出てくるような時代です。こうした時代を象徴するものが作中にちりばめられており、街や建物の様子と相まって当時の雰囲気をくっきりと浮かび上がらせます。この時代を生きた人にとっては、鑑賞中は本当にタイムスリップしたかのような印象を受けることでしょう。

もちろん、新500円玉が使用できずに戸惑ったり、鯨の肉に驚いたりする晴夫の様子は、タイムスリップの定番である時代感覚のズレとして笑いを誘います。また、作中ではかつてスプーン曲げで日本全国を騒がせた、ユリ・ゲラーの名前も登場。タイムスリップした直後である昭和48年の世界では、晴夫が柴咲コウ演じる悦子にユリ・ゲラーの名前を出しても、わかってもらえません。しかし翌年になると、その名前は一躍有名に。もちろん、このようなネタは晴夫が未来を読めると悦子に思わせる、重要な伏線にもなるのです。

人生に疲れた人ほど見て欲しい、青天の霹靂を楽しめるのはこんな人

劇団ひとりのセンスが好きな人

お笑いタレントである劇団ひとりは、ピン芸人として漫才のネタにおける脚本や演出を一人で手がけ、自分自身で披露します。小説家としても高い評価を得ており、デビュー作である「陰日向に咲く」は直木賞の候補にもノミネートされました。芸人としてだけではなくあらゆる分野でマルチな才能を発揮する劇団ひとりは、「青天の霹靂」で映画監督としても高いセンスを見せます。原作が好きな人にはもちろんのこと、彼のセンスが好きな人にとっては必ず面白いと思える映画です。

たとえば、昭和48~49年の時代における動画内の様子は、オールロケによる撮影によるものです。一般的に、古い時代の撮影にはスタジオセットやCGを用います。しかし、スタジオ撮影よりもロケのほうが気持ちが乗ってくるという理由から、彼はロケにこだわりました。入念なロケハンのおかげで、ロケでありながら当時の様子をありありと表出したシーンが浮かび上がります。

また、物語の舞台の中心でもある昭和40年代の東京浅草の劇場には、長野県にある上田映劇を使用。生の舞台と美術担当による作り込みの融合は、スタジオセットとも一線を画す、リアリティのある空間を作り上げました。彼のロケにこだわる姿勢は、CGがないと映画を作ることができないと思い込んでいたスタッフにとっても、新鮮であったといわれています。

さらに、シーンのひとつひとつが初めての監督作品とは思えない出来である点も見逃せません。タイムスリップした直後の晴夫が街を走り抜けるシーンでは、ハンディカメラを利用して彼が走っている姿を正面に固定して撮影しています。左右に流れる昭和の町並みがタイムスリップを視覚的に訴えるだけではなく、驚きのあまり周りに目もくれずに走り続ける晴夫の心情を訴えることに成功しているのです。新人ながらにして、映画監督としての巧みな表現が動画の節々に現れているのがわかります。

幸せとは何かを考える人

よい企業に就職し、よい家庭を築くことが幸せである、と思う人は多いのではないでしょうか。しかし、そんな幸せを求めることに疑問を感じたり、反発しながらもある種の憧憬を抱いたりする人にとっては、「青天の霹靂」による晴夫の姿が心に鈍く突き刺さることでしょう。このような人は、素晴らしい人生を歩むことのできなかった晴夫の慟哭を、自分のものとして理解できるかもしれないからです。

晴夫の生活は、悲惨とまではいえないものの、とても惨めです。人生に失敗したモデルケースであるといわんばかりの生活は、夢も希望もなく、ただ生きているだけという晴夫の姿を描き出します。彼の嘆きは、生きることそのものへの疑問です。日々を死なずに生きるだけならどうにでもなる世界において、どうしてこんな惨めな思いをしながら生きているのだろうという疑問なのです。

その疑問からは、幸せに憧れる彼の叫びが聞こえてきます。一笑に付すことをためらうような晴夫の悲劇は、大泉洋の真に迫る演技も相まって、深く感情を揺り動かすことでしょう。

やがて、タイムスリップによる両親との交流を通じて、晴夫は自分の人生にひとつの意味を見いだします。それは彼の現実を変えるものではありませんが、彼が前向きに生きていくための、ひとつの光になるのです。劇団ひとりが本作に抱いていたイメージは、喜劇王チャールズ・チャップリンのようなコメディアン出身の俳優による、喜劇と悲劇が混ざった人情ものでした。

そのイメージに重なるようにして、悲劇でしかないと思われていた晴夫の人生は、「奇劇」を通じてほんの少しだけ彩りを取り戻したといえるのです。映画のラストで晴夫が父親に向けた台詞は、幸せの定義に疑問を持ち続ける人にとって、何かしらの感情を呼び起こすかもしれません。

青天の霹靂を無料で見ることは可能?動画サイトでの視聴方法を紹介

主な動画サイトにおける「青天の霹靂」の配信状況は次のとおりです。

配信している有料動画サービス比較

サービス 配信
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ネタバレなし!青天の霹靂のあらすじを詳しく紹介

この記事では「青天の霹靂」のあらすじを紹介。ネタバレを極力伏せた紹介となっているので、動画を視聴する前でも安心して読むことができます。

場末のマジシャンバーに勤務する39歳の轟晴夫。かつて自分が特別な存在だと思っていた彼は、やがて普通の幸せを手に入れることすら難しいという事実に気づき始めています。後輩のマジシャンが活躍するのをテレビで眺めながら、4畳半のアパートでレトルトカレーを食べる晴夫は、自分の人生に諦観めいた感情を抱いていたのでした。母親は晴夫が幼い頃、父親が浮気したせいで家を飛び出しています。晴夫もまた、高校卒業と同時に家を飛び出していました。そのため、彼は長らく両親の顔を見ていません。

ある日、スーパーの半額セールで購入したホットドッグを公園で食べようとしていた晴夫の携帯電話に、警察からの連絡が入ります。それは、晴夫の父親の訃報でした。死因に事件性もなく、遺骨をそのまま引き取った晴夫は、父が亡くなっていた場所である線路の高架下に足を運びます。そこで彼が見たものは、父親が最後まで暮らしていたと思われるテントと、古い1枚の写真でした。

その写真に映っていたのは、若き日の父と、幼い自分の姿。晴夫のなかにこれまでたまっていた感情が堰を切ってあふれ出します。どうして自分はこんな惨めな姿をさらしたまま、生きているのだろう。生きる意味もよくわからなくなってしまったと晴夫が泣き崩れていると、青く晴れた空から一筋の雷が降り注ぎます。

雷に打たれた晴夫が意識を取り戻して最初に目にしたのは、捨てられた新聞に印字された昭和48年の文字でした。街を必死で走り回る晴夫は、どうやら自分がタイムスリップして40年前の東京浅草に飛ばされたのだと知ります。しかし、晴夫には行くあてもありません。商店で購入した30円の牛乳を飲みながら、手元の10円玉で一人マジックを行う晴夫。その姿を見た信吉という名の少年は、晴夫を浅草の劇場へ連れて行きます。

晴夫のスプーン曲げを見た支配人は彼のマジックが売れると判断し、劇場のアシスタントである悦子とともに舞台へ上がるよう指示しました。ユリ・ゲラーが来日するよりも前に披露された晴夫のスプーン曲げは、観客に大変な衝撃を与えます。観客の心を掴むことに成功した晴夫は、劇場に住み込みで働くことになるのでした。

晴夫が劇場でスプーン曲げを披露するシーンで観客を演じるのは、上田映劇のある長野県上田市の近隣に住む人たちです。スプーンが割れたときの一瞬の静寂から、一気に驚きに満ちた様子へと変わる観客の演技はなかなか様になっており、監督の劇団ひとりも大絶賛したといいます。

ある日、悦子が体調不良で休んでいることを知った晴夫は、彼女の家に向かいます。そこでは苦しそうな声でうめく悦子の姿がありました。彼女はチンと呼ばれる劇場のマジシャンの身元引受人として、警察署へ行こうとしていたのです。彼女の代わりに身元引受人を買って出た晴夫は、署内で見たチンの姿に驚きを隠せません。なんと、チンの正体は晴夫の父、正太郎だったのです。

警察を欺くことに良心の呵責を感じない正太郎の姿にかみつく晴夫。ふたりは署内で言い合いになってしまいました。なんとか正太郎を悦子のもとへ連れ帰った晴夫は、悦子が正太郎の子を身ごもっていることを知ります。その事実は、悦子が晴夫の母であることを意味していました。正太郎は悦子に謝りながら、これからは子どものために真面目に働くと誓います。

事あるごとに衝突する晴夫と正太郎の様子から、支配人はふたりで喧嘩しながらのマジックを披露してみろといいました。怪しいインド人と中国人に扮したふたりの舞台は、晴夫のマジックの技術と喧嘩漫才の妙が絶妙なハーモニーを生み出し、劇場を笑いの渦に巻き込みます。やがて、浅草でふたりのことを知らない人はいないほどに、晴夫と正太郎は有名になっていきました。悦子のお腹も順調に大きくなっている様子。正太郎と悦子の様子を見た晴夫には、全てが上手くいっているように思われました。しかし、両親と自分の間にやがて訪れる真実を、晴夫はまだ知る由もなかったのです。

生まれてくる子どものために日々を一生懸命に生きる正太郎と悦子の姿を見た晴夫。彼の心はとても複雑だったといえるでしょう。悦子を気遣いながら働く正太郎は、将来浮気をするような男にはとても見えません。どうしてこの幸せそうなふたりのもとで、自分はあんなに惨めな人生をおくることになるのだろうと疑問を持っていたはずです。

その疑問は悦子には聞こえない声で、どうして自分を連れて行ってくれなかったんだという独り言として吐露されます。一時の名声を得ても満たされない晴夫の心は、両親との関係によってしか回復できないのです。彼の心の回復は、本編の意外な真相とともに描かれていくことになります。

原作者が主演も担当?青天の霹靂の登場人物を紹介

【轟晴夫役】大泉洋

本作の主人公であり、マジシャン。マジックの実力は本物ですが、トークが苦手なこともあり、一向に売れません。そのためマジックバーの雇われ店員としてひっそりと生計を立てています。ある日、青天の霹靂ともいえる落雷が彼を直撃し、40年前の浅草にタイムスリップすることに。なお、40年前の劇場に立つ際の彼はインドからやって来たという設定であり、名前をぺぺといいます。これは劇団ひとりの漫才の持ちネタである外国人の名前でもあるのです。

【轟正太郎役】劇団ひとり

晴夫の父親。40年前の東京浅草の劇場でマジックを披露しています。劇団ひとりは本作で監督を務めつつ、登場人物の一人としても登場しているのです。動画では漫才で培った劇団ひとりの中国人を模した演技が笑いを誘うことでしょう。晴夫とは衝突を繰り返すものの、やがて漫才にも似たマジックのコンビを結成し、観客を笑いの渦に巻き込んでいきます。

【花村悦子役】柴咲コウ

晴夫の母親であり、40年前の浅草で劇場のアシスタントを務めています。事あるごとに正太郎を叱責しながらも、彼のことを大切に思っている様子。また、未来が見えるような素振りを見せる晴夫のことを不思議に思っています。正太郎との子を宿した彼女は、やがて大きな運命と対峙することになるのです。

脚本も劇団ひとりが担当、青天の霹靂の作品情報

原題:青天の霹靂

公開年:2014年

監督:劇団ひとり

制作:川村元気

原作:劇団ひとり

脚本:橋部敦子、劇団ひとり

音楽:佐藤直紀