映画『捨てがたき人々』は面白い?感想と動画配信サイトで無料で見る方法

邦画

捨てがたき人々」はジョージ秋山の漫画作品を原作とする、2014年に公開された映画です。人間が持つ生々しい欲望と業の深さを表出させた映像は非常に過激であり、生が持つグロテスクな一面を見せます。しかし、その暴力的な映像の中で悶える登場人物の人生は、きれいごとを抜きにした人間のありのままの姿でもあるのです。

この記事では「捨てがたき人々」における魅力や感想を余すところなく紹介。さらには、主な動画配信サイトにおける配信状況についても説明します。

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目を覆いたくなる人間の欲望、捨てがたき人々はこんな映画

ジョージ秋山の漫画を原作とした映画「捨てがたき人々」は、2014年に公開された映画です。

人間の三大欲求のひとつである性欲に、人間だけが持つ金への欲望が絡み合い、汚らしい人間の本性を見せつけます。きわめて動物的な本能でもって動く登場人物の姿には、時に目を覆いたくなることでしょう。

実際、暴力的で性的なシーンの多い本作は成人指定にもなっており、見る人を選びます。しかし、成人指定にありがちな濡れ場に特化した作品とは違い、愛とは、生きる意味とは何かを問う姿勢が本作のあらゆるシーンから見え隠れしているのです。そこには、人間の善悪に真正面から切り込む、ジョージ秋山の世界観が漂っています。

主演はテレビドラマ「ハゲタカ」で主役を演じた大森南朋。これまではインテリな雰囲気を漂わせる二枚目や、マフィアのような精力的な男を演じる印象の強い俳優でした。

本作では、ギラギラした欲望をさらに昇華させ、生きる意味を見失い、酒と性だけが楽しさであるというろくでもない中年男を演じています。その鬼気迫る演技の隅々からは人間の浅ましさが表出しており、強烈な印象を残すことでしょう。

また、大森南朋のアクの強いキャラクターに比肩する三輪ひとみの演技にも注目です。あらゆる汚らしいものを人間の姿として包み込む彼女の雰囲気は、果敢に濡れ場へ挑む姿勢も相まって、まるで現代の聖母のようなイメージを与えます。

そうしたふたりが演じる登場人物の行動は、性欲や愛に結びついているようでいて、実際には不可解な感情を想起させられることでしょう。

主人公の狸穴勇介は、欲望のままに京子へ襲いかかります。しかし、京子は彼に乱暴されたにもかかわらず、献身的に彼へ尽くす様子を見せるのです。

ドストエフスキーに感化され、信仰を尊ぶとはいえ、勇介を信頼する京子の行動にはどうにも理解し難いものがあるかもしれません。しかも、そんな献身的な彼女の様子に絆されることもなく、勇介は他の女性にも手を出してしまうのです。

一般的な物語の心情展開から大きくかけ離れた人間描写は、ある意味で不快な気持ちにさせられるはずです。

けれども、恋愛ドラマにおけるきれいな物語はフィクション特有のものであり、時に愛はその姿を変えるもの。その意味では、本作ほど人間の愛情を滑稽に、けれども写実的に描いた作品はないといえるでしょう。

京子の愛は彼女自身の罪となり、勇介の罪はやがて大きな罰にもなって、彼自身に降りかかってくるのです。どうしようもない人間達が物語の後もずっと生き続けるのだろうという事実は、タイトルの「捨てがたき人々」の意味とも深くつながっているといえるでしょう。

俳優だけではなく、制作スタッフの顔ぶれも注目すべきポイント。監督の榊英雄は俳優として活躍する一方で、これまでに監督として一般向けや成人指定の作品を数多く手がけており、いくつかの賞を受賞している実力派です。過激な内容から成人指定となった本作の世界観を作り上げるのに、これ以上の人材はいないといえます。

また、音楽担当は監督の妻であり、ミュージシャンでもある榊いずみです。単純に音楽で場を盛り上げようとする意図を徹底的に廃した姿勢は、淡々とした世界観を決して邪魔することはありません。無音が続く場面でふとした拍子に挿入される音楽には、演出との妙を感じられることでしょう。

そして、脚本を務める秋山命は、なんとジョージ秋山の息子です。過去に「銭ゲバ」や「アシュラ」の映像化においても制作協力を行ってきた彼は、父親の作品群を自分の「命の素」だと語っています。

漫画や小説を映画化すると聞くと、原作の良さが失われるのではないかと心配になる人は多いもの。しかし、ジョージ秋山の原作を動画に映し出してきた経験と、彼の唯一無二の精神性は、本作の脚本を担当するために生まれてきたといっても過言ではないでしょう。

実際、制作スタッフと俳優陣に恵まれた本作は、ジョージ秋山の世界観を現実の世界に浮かび上がらせることに成功しているのです。

大森南朋が化ける!捨てがたき人々のおすすめポイントを3つ紹介

人間の欲望と業の深さ

「捨てがたき人々」の見どころは、映画全体に溢れる人間の欲望と業の深さです。人間が持つモラルをあざ笑うかのようにして、複数の登場人物が複数の相手と性的な関係を結んでいく様子には、人間と動物にどのような違いがあるのかという疑問を投げかけます。

そこには濡れ場特有の、性欲を喚起させる魅力はあまり感じられません。むしろ、老若男女を問わず、そして社会的地位を問わず、時に相手の同意を得ないまま絡み合う姿が、倫理という枷から外れた人間そのものをありありと描くのです。

潔癖な人であればあるほど、こうした動物と寸分違わぬ登場人物の姿に気分が悪くなることでしょう。

主人公の狸穴勇介は、行き場を失い、人生に疲れた中年の男性です。自分の故郷に戻ってきたものの、特に何かをするわけでもなく、その日暮らしを続けるばかり。好色にまみれたその性格から、彼の生きる意味とは性欲のみにあることがわかります。

彼は島で偶然に出会った岡辺京子に対し、彼女の優しさを踏みにじるかのようにして、無理矢理に関係を持ってしまうのです。

けれども、京子は勇介の行為を許せないとしながらも、彼を突き放すことはなく、むしろ足しげく彼の元へ通います。時に勇介へ仕事を紹介したり、金の工面をしたりする京子。

しかし、自分の体にコンプレックスを持ち、宗教を通じて隣人愛が大きくなっているとはいえ、勇介に対する京子の感情は、愛情と一言では表せないくらいに複雑といえます。

なぜなら、島の男と見境なく肉体関係を持つ母親や叔母の姿に対して、京子は汚らしいものを感じているからです。そして彼女自身も、お金と引き換えに男との関係を持っているのでした。

やがて、京子のお腹に自分の赤ちゃんができたと知った勇介は、狼狽します。しかし、自分のような醜く浅ましい人間の子どもができることに耐えきれない思いを抱きながらも、彼女と子どもを受け入れることに。

どうしようもない自分にも人並みの愛を得られたように実感する勇介は、そんな家族関係を通じて、再び生きる意味を見失ってゆくのです。

本作のキャッチコピーである「なにゆえ、わたしは、この世に生を受けたのでしょうか」というフレーズは、まさに彼の人生そのものとして深く突き刺さることでしょう。

大森南朋の体当たりの演技に注目

インテリな雰囲気のファンドマネージャーや、殺し屋としての暗い演技が注目される大森南朋は、主役でも準主役でも圧倒的な存在感で作品の雰囲気を締める俳優です。

映画「捨てがたき人々」は、そんな彼の新境地を切り開いた一作であり、後の「ビジランテ」をはじめとする、彼の無頼な雰囲気を形作ったといえるでしょう。

女性を見るとすぐに好色めいた視線を投げかけ、酒と女に溺れる日々を過ごす狸穴勇介。そこには中年男性のマイナスなイメージを煮詰めて凝縮させた、ダーティな要素が隠しきれないほどに溶け出しているのです。

もちろん、そうした雰囲気は大森南朋の演技力あってこそのものだといえるでしょう。しかし、それ以上に彼の外見が、これまでのイメージとは全くことなるさえない中年男性をリアルに演出しています。

実際、彼はこの役に臨むにあたって、中年太りであることがはっきりとわかるように体重を増加させたといいます。

だらしなく腹の出た大森南朋を見たくないというファンも多いかもしれません。けれども、ジョージ秋山の世界観にこれ以上ない存在感を見せる彼の怪演は、さらに多くのファンを呼び込むはずです。

離島の閉塞感が生み出すプレッシャー

ジョージ秋山の原作では、舞台はただの漁師町となっています。しかし、本作の舞台は長崎県五島市であり、監督の榊英雄の故郷でもあるのです。

五島列島と聞けばピンとくる人も多いのではないでしょうか。海に囲まれ、水産業を中心とした町並みはどこか長閑な雰囲気を動画の節々から伝えてきます。しかし、離島ならではの閉鎖感は、息苦しさを伝える最高のエッセンスとして本作の雰囲気を彩るのです。

本作はフィクションであり、実際の五島市に閉塞的な雰囲気はないはずです。しかし、動画の奥から見えてくる島の様子には、自然のみずみずしい力強さとは裏腹に、海に囲まれてどこにも行くことができないというプレッシャーが表れています。

勇介と京子の子どもである正義が、初登場の際に離陸する飛行機を感情のない目で見送るシーンは、閉塞感から抜け出したいという感情の表出ともいえるのです。

生きる意味とは何だろう?捨てがたき人々を楽しめるのはこんな人

ジョージ秋山の描く世界が好きな人

漫画家のジョージ秋山は、正面から人間のモラルや善悪を問う作品を発表しており、時に残虐なシーンでもって読者の心を揺さぶります。それだけに多くのファンを魅了し、今もなお忘れられない作品として評価されているのです。

本作もまた、動物と寸分違わぬ人間の獣じみた欲求をとおして、人間のありのままの姿を描いています。

たとえば、彼の代表作である「銭ゲバ」では、この世でもっとも大切なものは金だと思い込むようになった主人公が、金のためにあらゆる殺人をくり返す姿が描かれます。

もちろん、殺人は人間社会にとって罰せられるべき行為です。しかし、主人公が度を超えた拝金主義となってしまった原因は幼少期の貧しさであり、その貧しさのために命を落とした母親の存在でした。

金がなければ生きていけないというきわめて普遍的な問いかけは、そのまま人間の生きる意味と直結しています。こうした問題の前には殺人すら肯定されるのではないかというジョージ秋山の暗い世界観は、漫画という形式でもって描かれるのです。

「捨てがたき人々」の物語も、「銭ゲバ」と似ているところがあるといえるでしょう。主人公の勇介の境遇は、映画の中で詳しく語られることはありません。

しかし、前科持ちであることをほのめかす発言や、ほとんど無一文のまま島にやってきた彼の様子からは、これまで凄惨な人生を辿ってきたことを匂わせます。

そして、酒に浸り、ひたすら女性を求める彼にとっては、性欲こそ生きる証であるのです。生きるためには金と性欲が必要であり、そのためなら何をしてもよいという姿勢は非常に似通っています。

モラルや社会構造と常に隣り合わせで生きている多くの人にとって、その姿勢は理解し難いものでしょう。それだけに、ジョージ秋山が描くモラルに外れた主人公達は、なぜか自分の生きる姿と対比させてしまう強さを持っているといえるのです。

不意に生きる意味を考えてしまう人

普段から生きる意味を考えていては、生きるのが困難になってしまいます。けれども、ふとした拍子に生きることを考えてしまい、答えの出ない問いをくり返す人にとって、本作はひとつの考え方を投げかけることでしょう。それは、幸福についてです。

生きる意味を見失った勇介は、本当にどうしようもない人間として描かれます。彼の性欲の対象は京子だけではなく、叔母のあかね、さらには水産業の社員にすら向けられていくことに。しかし、欲望に忠実に行動する彼は、自分のそんな姿が生きる価値のない生を作り出していることに自覚的でもあるのです。

初対面の京子に自分の生を卑下するシーンや、生まれてくる子どもの将来を儚むシーンでは、自分の生に対する勇介の後ろ暗さと絶望がありありと描かれています。

そして、幸せとは何なのかを時折考えながらも、彼は京子や子どもと一緒に生活していくことを選ぶのです。家庭を持った勇介の様子は、相変わらず好色めいた部分は変わらないものの、どこか落ち着いた雰囲気に変わります。誰かとのつながりをとおして得られた幸せは、彼にとって生きる意味になったのだといえるのです。

ただし、幸せとは家族愛であると主張するのは素晴らしいものである一方、あまりにきれいすぎる主張だといえるでしょう。そこで愛が生きる意味と素直につなげてくれないのが、この映画の非常に恐い部分であり、監督である榊英雄の問いかけでもあるといえるのです。

自分を愛していると言うように京子へ詰め寄る勇介の姿をとおして、動画の視聴後はますます幸せの定義がわからなくなるかもしれません。それだけに、愛や家族だけが本当の幸せを呼ぶわけではないのだという主張が、生きる意味を考えてしまう人の心に鈍く突き刺さるのです。

捨てがたき人々を無料で見ることは可能?動画サイトでの視聴方法を紹介

主な動画サイトにおける「捨てがたき人々」の配信状況は次のとおりです。

配信している有料動画サービス比較

サービス 配信
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ネタバレなし!捨てがたき人々のあらすじを詳しく紹介

この記事では「捨てがたき人々」のあらすじを紹介します。極力ネタバレや結末を伏せているので、動画を見る前でも参考として読むことが可能です。

長崎県五島市のある港に、ひとりの男がやってきました。男の名前は狸穴勇介といいます。生きる意味を見失い、人生に疲れた勇介は、ただ目的もなくかつて生まれ育ったこの島にやってきたのでした。

不動産屋の仲介により、海に近いぼろぼろの家を借りて、彼はその日暮らしをはじめます。生活に必要な最低限のものを揃えて彼が街を歩いていると、側道からやって来た自転車に衝突してしまいました。

自転車に乗っていた女性の名前は田辺京子。ケガをさせてしまった勇介の好色めいた視線に気がつかず、彼女は勇介を心配します。

ある日、彼がいつものように弁当屋へ行くと、そこには先日出会った京子の姿がありました。気さくに勇介へ話しかける京子の姿に、勇介は戸惑いながらも相槌をうち、その場を離れます。

彼が海辺でひとり弁当を食べていると、仕事を終えた京子がひょっこりとやって来ました。ふたりで話をしているうちに、自分の惨めさを吐露する勇介。新興宗教の信者である彼女はもっと自分を大切にするよう忠告しますが、説教のようにしか聞こえない勇介は彼女に憤ると、白昼堂々、彼女に襲いかかるのでした。

たまたま通りがかった京子の叔母であるあかねに助けられ、京子は無事にその場を離れます。

次の日、勇介は弁当屋へ行き、京子に土下座します。自分に乱暴しようとした勇介の真意が気になるものの、京子は彼を許すのでした。

勇介はお詫びのしるしにと、彼女を高級レストランへ連れて行きます。ここで、仏教の死生観やドストエフスキーの「罪と罰」に関する台詞が出てくるのは、本作のテーマを象徴する一幕といえるでしょう。

生老病死からは逃れられないという事実を前に、なぜ人間は生きなければならないのかと語る場面は、本能に忠実な勇介の汚らしい様子と対比するかのようにして印象に残るのです。

レストランでの食事を経て、いつの間にか酔い潰れてしまった京子は、勇介のアパートにいました。そこで彼は本性をむき出しにして彼女に襲いかかります。

不誠実極まりない勇介の蛮行に京子は必死で抵抗するものの、やがて諦めたかのようにして彼に身を任せてしまいました。翌朝、彼が暢気に寝ている姿に複雑な感情を抱きながら、京子は勇介のアパートをあとにします。

家に帰ってきた京子が目にしたのは、自分の家に堂々と居座る中年男の姿。母親はその中年男とただれた関係を持っているのでした。そんな母親を汚らしいと思いながらも、京子もまた、いつもお金のために自分と関係を持っている不動産屋の男との肉体関係を持っていたのです。

ある日、勇介のアパートに再び京子が現れました。なぜあんなことをしたのに自分のところへ姿を出せるのかと訝しむ勇介に対して、京子は彼に仕事を斡旋します。

それは、彼女が信仰している宗教が経営している、島の水産会社でした。社長でもあり教祖でもある男に、自分の前科や履歴を話す勇介。しかし社長は経歴に関係なく、彼を社員として迎え入れます。

そして京子もまた、不動産屋との関係で得たお金を、勇介に貸し与えるのでした。これまで受けたことのない人の優しさに触れ、勇介は戸惑うばかりです。

しかし、京子の精神は少し不安定になっていました。昼間から母親と中年男の情事を目撃し、叔母もまた同様の行為にふけっていたのを知ると、京子は行く当てもなく勇介をたよります。

けれども、その勇介もまた、生きる証とは酒や金、そして性欲だけなのだと憤り、彼女の体を求めるのでした。自分もまた汚らしい人間の性からは逃れられないと思いながら、京子は再び勇介に体を許してしまうのです。

程なくして、京子は勇介の子どもを妊娠しました。それを知った勇介は激怒し、堕ろせと詰め寄ります。

生きる意味を見失い、自分の生に何の価値も見いだせない勇介にとっては、自分の分身ともいえる子どももまた、同じような境遇を辿ることを危惧しているのです。

生を真っ向から否定する彼のどうしようもない絶望は、ここにきて初めて映画のキャッチコピーと結びつきます。どうして自分がこの世に生を受けたのかという問いは、これから生まれてくる子どもに対する問いかけでもあったと解釈できるでしょう。

やがて、母親が事故で亡くなり、京子は生と死に関して今まで以上に深く考えるようになりました。母親の遺品を整理しながら、彼女は自分と母親の母子手帳を発見し、子どもを産む意志をはっきりと固めていきます。

母子手帳に記された児童憲章から、子どもの権利を読み上げてゆく京子の姿を見て、勇介は思わず泣き出してしまいました。

叔母の反対や水産業での不穏な人間関係をよそに、勇介は生まれてくる子どもを受け入れ、自分が父親になることを少しずつ自覚していくのです。

しかし、10年経ってできあがった家族関係は、まるでかつての母親や周りの人間を再現するかのようにして、逃れられない人間の根源的な欲望を映し出していきます。

個性豊かな女優陣に注目!捨てがたき人々の登場人物を紹介

【狸穴勇介役】大森南朋

本作の主人公である、さえない中年の男性です。身なりに気を使う様子もなく、目付きの悪さと好色めいた視線のせいで、近寄りがたい雰囲気を持っています。欲望のまま京子を襲いながらも、彼女の優しさに戸惑い、ついには自分の生きる意味を考え直していくことに。

動画では腹の出た様子や気怠そうな雰囲気から、本当にこれが大森南朋なのかと衝撃を受けることになるでしょう。

【岡辺京子役】三輪ひとみ

本作のヒロインであり、顔にある大きな痣がコンプレックスになっています。新興宗教の信者であり、笑顔を忘れないことが特徴。勇介の狼藉を許せないとしながらも、献身的に付き添い、やがて彼の子どもを身ごもります。

【あかね役】美保純

京子の叔母であり、港町で居酒屋兼スナックを経営しています。勇介に引かれていく京子のことを心配し、勇介を嫌悪しながらも、彼に求められるまま情事を重ねることに。

登場人物として勇介や京子に勝るとも劣らぬ彼女の存在感は、作品を選ばぬベテラン女優、美保純のなせる技でもあります。

脚本はジョージ秋山の息子、捨てがたき人々の作品情報

原題:捨てがたき人々

公開年:2014年

監督:榊英雄

製作:榊英雄、秋山命、川村英己、見城徹

原作:ジョージ秋山

脚本:秋山命

音楽:榊いずみ