『ニンフォマニアック』が描く性依存症とは?快楽に翻弄された一人の女性の人生を通して、「性」の在り方を問い直す。

おたのしみ

6月14日に新作映画『ハウス・ジャック・ビルト』が公開される、デンマークの鬼才ラース・フォン・トリアー。新作でも相変わらずの問題作っぷりを容赦なく炸裂させているが、本記事ではそんな彼が過去に女性の色情症をテーマに撮った、4時間にも及ぶ大作を取り上げ、「性」について語っていきたい。

あらすじ紹介


物語は、路上に倒れている一人の女性ジョー(シャルロット・ゲンズブール)を、初老の男性セリグマン(ステラン・スカルスガルド)が助けるところからはじまる。セリグマンが傷だらけの彼女にその理由を尋ねると、数奇な半生が語られはじめる。セリグマンはあらゆる知識を引用しながら、時に訝しがり、時に嫌悪しながらも、次第に彼女の話にのめり込んでいく ……。

色情症とは?

映画タイトルの「ニンフォマニア」はギリシア語を起源とした言葉で、女性色情症のことを指す。かたや男性色情症の場合は「サテュリアシス」と言われる。*1 ジョーが劇中で声高らかに「私は色情症」だと宣言する通り、これは第8章から成る性に取り憑かれたニンフォマニアの女性の映画である。

幕開けの第1章「釣魚大全」では、ジョーの幼少期からの回想が語られる。ジョーは、処女喪失の2年後、電車の中で友人B(ソフィー・ケネディー・クラーク)と、どちらが多くの男性を釣れるかを賭けて勝負する。ここだけを掻い摘めば、まだ色情症の不埒な所業ではなく、思春期特有の好奇心旺盛な悪ふざけだと捉えることもできるかもしれない。友人Bにしても、他の人より少し性に奔放な若者だっただけ、と。

では、私たちはいったいどのようにしてボーダー・ラインを引けばいいのだろうか。何が「正常」で、何が「異常」なのか。どこからが「依存」で、どこまでが「嗜好」なのか。それが「愛情」なのか、あるいはたんに「欲情」なのか ――。

性依存症は、幼少期の虐待や不幸などによる何らかのトラウマが誘因となっているケースが多いと言われる。*2 第4章「せん妄」で語られているように、ジョーは父親から強い影響を受けているものの、家庭環境に重大な問題があったわけでも、性的なトラウマ体験があったわけでもなさそうである。

男性の性依存症を扱った映画も…

一方、件のケースのように、過去に何らかの心因的外傷を負ったことによってセックス依存症に陥ってしまったと思われる人物を描いた映画もある。それがスティーヴ・マックィーン監督の『シェイム』(2011年)である。

主人公の男ブランドン(マイケル・ファスベンダー)が、過去に何があったかを映画は直接的に描きはしないが、ある日突然家に転がり込んできた妹シシー(キャリー・マリガン)を通して、この兄弟が重い十字架を背負っていることが示唆される。

ブランドンの性依存は日常にも支障をきたすほどで、会社のトイレでの自慰行為、パソコンに詰まった大量のポルノ、その場で知り合った女性との行きずりの関係、自宅でのアダルトライブチャット、ハッテン場まがいの場所での男性との行為、複数プレイなど、抑えきれない性的欲求を満たすための手段となれば、枚挙にいとまがない。

どこからが性依存症か?

セックス依存症の烙印を押されてしまうかどうかの、もっとも容易な一つの判断基準は、日常生活に支障をきたすか否かであり、『シェイム』、『ニンフォマニアック』ともに共通する点はここにある。

『ニンフォマニアック』において、その極地となるのが第6章「東方教会と西方教会」のエピソードである。結婚と出産を経て、不感症になってしまったジョーは、Kと名付けられた男のもとで、マゾヒズムに目覚めていく。未知の快楽に溺れていくジョーは、処女を捧げた相手であり、夫となったジェローム(シャイア・ラブーフ)に、今家を出て行ったら家族を永遠に失うことになると脅されるが、結局全てを失ってしまう。

誰もが性依存症になり得るかもしれない

新作を発表するたびに「賛否両論」や「物議を醸す」と称されるラース・フォン・トリアーの『ニンフォマニアック』が、観客に不快感を覚えさせるのだとしたら、それはおそらく、ジョーの特異なセクシュアリティや過激な描写のせいだけではないだろう。

「私たちは、ほかの人間を、その人が私たちをなんらかの形で性的に興奮させないかぎり、性的な存在とみなさない傾向にあるが、ある種の染色体異常をもつ人は例外として、私たちはみな生まれながらに猥褻な生き物である。(中略)好色な獣は、どの人間の皮膚の下でも――その不機嫌なレジ係の女性の皮膚の下でも――徘徊している」*3

たしかに、性倒錯性は誰もが孕みうるものである。性体験を通して人生を学んできた語り手ジョーと、知識を通して人生を学んできた聞き手セリグマンの、二人のやりとりによって、性的好奇心と知的好奇心が、同時に(あるいは交互に)刺激される。「獣」を飼い慣らすことで澄まし顔でいられる私たちは、必死に疼くまいとして不快を示して見せたりするのかもしれない。

そして衝撃の結末へ

ジョーが路上に血塗れで倒れていた理由、それは彼女がそれまでの人生で唯一何度も巡り会い、特別な感情さえ抱いた男性であるジェロームその人である。

この結末は、愛や愛に絡む関係性の否定を象徴しているようにも思える。ジョーの性欲至上主義の人生は、セックスがいかにも愛や恋に基づいていると嘯く私たちに、檄文として発させられるだろう。

愛や恋を至高として性生活を営んでいくことが、今の時代に迎合する処世術だったとしても、この映画以後は、そうではない性という隘路の可能性にも、想いを馳せてみたくなる。

児玉美月
ライター:児玉美月
映画にまつわる文章を書く人。
LGBTQ映画の研究論文を大学院で執筆したほか、リアルサウンドなどに映画批評を寄稿。→Twitter

参考文献
*1 2011年 白水社 ジュラール・ボネ『性倒錯-様々な性のかたち』p.46
*2 2003年新紀元社 藤井勝彦『図解 ダーティヒロイン』pp.54-55
*3 2016年 化学同 人ジェシー・ べリング『性倒錯者だれもが秘める愛の逸脱』p.15

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